2009.05.25 Monday
想いやり生乳と加熱殺菌乳
No.45
「想いやり生乳(せいにゅう)」をご存知でしょうか。テレビや新聞で紹介されているのをご覧になった方もおられると思います。北海道中礼内村の「想いやりファーム」で生産販売されている「無殺菌乳」です。「牛乳」は、牛から搾った「生乳」を加熱殺菌したものと定義されているため、加熱殺菌を経ていないこの製品の名前には、「牛乳」ではなく「生乳」が使われています。
私もずっと飲んでみたかったのですが、先日、初めて飲むことができました。予想以上のおいしさに驚きました。一緒に飲んだ学生諸君にもたいへん好評でした。感想はいろいろでしたが、「さっぱりしている」、「アイスクリームみたいな味」、「後味がよい」、「牛乳くさくない」といった声が多かったようです。中には、「普段飲んでいる牛乳の方が、牛乳らしくておいしい」という学生さんもいましたが、少数派でした。
私は講義で牛乳の話をすることがありますが、恥ずかしながら、まったく加熱していない牛乳(生乳)の味を知りませんでした。牧場などで搾りたての牛乳をいただくことがありますが、そういった牛乳も鍋などで加熱処理をしています。私たちが飲む機会の多い市販の紙パック入りの牛乳の多くは、超高温瞬間殺菌法で処理されています。牛乳のパッケージには、殺菌条件(温度と時間)が記載されていますが、「130℃ 2秒間」の加熱殺菌が主流となっています。
私たちが飲んでいる牛乳は、食品衛生法にもとづく「乳および乳製品の成分規格等に関する省令」(乳等省令)で、「保持式により摂氏63度で30分間加熱するか、又はこれと同等以上の殺菌効果を有する方法で加熱殺菌すること」と定められています。上述の「130℃ 2秒間」という殺菌条件は、この条文の「(63度で30分間加熱と)同等以上の殺菌効果」のあるものです。牛乳の殺菌方法を温度と時間で分類すると、以下のようになります。なお、実際の加熱条件は、ここに示した数字と完全に同じものが採用されているわけではありません。
このように牛乳は加熱殺菌されてから流通するのが原則ですが、「特別牛乳」というカテゴリーがあり、「特別牛乳さく取処理業の許可を受けた施設でさく取した生乳を処理して製造すること」で、加熱殺菌しない生乳を販売することができます。また、特別牛乳の成分規格では、細菌数が30,000個/ml以下で大腸菌群も陰性でなければなりません。加熱殺菌を経ないで流通させる分、徹底した衛生管理が求められます。
加熱殺菌を行わない「想いやり生乳」は魅力的な製品なのですが、価格が高いのが難点です。180mlで368円、720mlで1050円ですので、学生諸君にはちょっと手が出ません。それだけ衛生管理等にコストがかかることなのでしょうか。価格的に手が出ないというのであれば、「低温殺菌乳」もお勧めです。スーパーの店頭でも見かけることがあり、無殺菌乳に比べるとずっと入手しやすいものです。下の写真にある「タカナシ低温殺菌牛乳」は、66℃で30分間の加熱処理が行われている製品です(1000ml:288円)。パッケージに「自然のあまみゴクゴクすっきり」とありますが、超高温殺菌乳とは明らかに風味が異なります。右の「たのはた牛乳」と「安比高原牛乳」は、ともに85℃で15分間の「高温保持殺菌法」に相当する加熱処理がされています。これらの牛乳の風味も、超高温殺菌乳とは少し違います。
一方、低温殺菌乳とは逆に、厳しい加熱条件で処理される牛乳もあります。超高温殺菌乳は、130℃で2秒間の処理が主流ですが、「常温保存可能品」とパッケージに記載された牛乳(ロングライフミルク、LL牛乳)は、140℃程度で殺菌された後に無菌充填されます。下の写真の「森永牛乳」は140℃で2秒間、「メグミルク北海道牛乳」は142℃で3秒間、という条件が採用されています。これらの牛乳の容器は、通常の牛乳のものと同じように見えますが、内側がアルミの薄膜で覆われ、微生物汚染を受けにくい構造になっています。こういった牛乳は、常温(室温)で数カ月以上も保存することができます。ただ、加熱殺菌による風味変化が最も大きい製品だとも言えるでしょう。
では、なぜ無加熱の生乳と加熱処理した牛乳で風味が異なるのでしょうか。加熱により牛乳タンパク質に含まれる含硫アミノ酸が分解されると、硫化水素やジメチルサルファイドといった硫黄化合物が生成し、これらの物質が加熱臭をもたらします。また、「メイラード反応」などの加熱に伴って起こる化学反応も風味変化に影響を及ぼしています。すでにこのトピックス欄でもメイラード反応については触れてきましたので、詳しくは過去の記事をご覧ください(No.32「ホットケーキとメイラード反応」)。簡単に説明すると、タンパク質(アミノ酸)と糖質の混合液を加熱した際に化学反応(メイラード反応)が起き、様々な風味成分が生成します。牛乳には、タンパク質や糖質が多く含まれているので、加熱によりメイラード反応が起こりやすい食品と言えるでしょう。メイラード反応は褐変化反応ともよばれています。超高温殺菌乳でも色までは変化していませんが、明らかに成分変化は起きています。ちなみに、牛乳を120℃で10分間以上加熱すると、キャラメルのような褐色を呈し(褐色物質メラノイジンの生成)、香りもキャラメルのようなものになります。
ところで、「牛乳有害論」というもののが、ときどきマスコミを賑わします。数年前も、『病気にならない生き方』(新谷弘実, サンマーク出版, 2005)というベストセラー書籍の出現により、牛乳有害論が浮上しました。私は牛乳が有害な食品だとは思っていませんが、今回の話の趣旨とずれてしまいますので、ここでは詳しいことを述べません。一点だけ、牛乳の有害性の根拠として、しばしば超高温殺菌法による処理があげられていることにだけ触れておきたいと思います。
牛乳を高温加熱することにより、タンパク質などの牛乳成分に悪い変化が起きることを危惧する指摘があります。しかし、油を使った料理(炒め物や揚げ物)などは、牛乳の超高温殺菌よりもはるかに高い温度と長い時間をかけて行われていますから、牛乳の加熱殺菌だけをとりたてて心配するのはナンセンスでしょう。ただ、加熱殺菌によって風味が変化していることだけは、飲み比べてみれば、ほとんどの方にわかることです。基本的に加熱殺菌した牛乳に有害性はないでしょうから、どの殺菌条件の牛乳を選ぶかは好みの問題だと、私は思っています。
「牛乳論争」について、割合と中立的な立場からまとめられた書籍として、下の写真の『牛乳は体に悪いのか』(別冊宝島1453号, 2007)をあげておきます。この本の最後の「エピローグ」には、「牛乳はひとつの食品。体に良くも悪くもない。」と書かれています。皆さんはどうお考えになるでしょうか。
食品のトピックス | 11:06 | 2009.05.25 Monday |